ドラマ『BE LOVE』論(ってほどでもないもの)

はじめに

 

10月9日。

その発表があった日は今でも忘れられない。

そこから流れるようにdtvに入り、原案となった楽曲も聴いて……あな恐ろしや。

 

とにもかくにも私はドラマ「BE LOVE」にドハマりしてしまった。

 BE LOVEが私を思考の沼へと沈ませた。

 

自己満である。

だけど書かないと私の気が済まない。

好きになるとどんどん入れ込んでしまうんです、何せTypeBなもので(笑)

 

というわけで私が気になった箇所をこねくり回して書いていこうではないかというのがこれから続く文章です。

あくまで、あくまで私の個人的な見解なもので異論を是非下さい。

 

 

 

二人の出会いから関係の変化

 

・別荘に行くまで

 

絵本作家さん

 

絵本を持ち込むと、絵本を見てくれた編集者さんがすごく褒めてくれた。

「あんなに自分の絵本を褒めてもらったの生まれて初めてで」という台詞から今まで周りに評価してもらったことがなかった?

それでも絵本作家になりたくて持ち込んだ先に編集者がいた。

 

初めて肯定してくれた人を好きになる、この人なら分かってもらえるかも、作品を通して心が通じ合うみたいな、まるで光のような存在だったのではないか?

 

そうして担当してもらってデビューに漕ぎつける。

画材屋に行ったときに初めてプロと言われて嬉しかったとインスタに書いてある。

海への誘いに乗った時点でかなりの好意はあったと思っていい。

 

編集者さん

 

「初めて見たときの衝撃忘れられないもん」

作家さんが持ち込んできた絵本を見て衝撃を受ける。

その才能を買って熱心に指導する。

そうしてデビューさせる。

 

才能に惚れて作家さん自体を支えたいと思うようになれば恋愛感情にになり得る。

もっと過ごしたいと思ったから「あの今度海行きませんか?」と別荘に誘う。

同じく好意があったと考えよう。

「誘うのドキドキしちゃいました」なんて言っちゃってたし。

 

 

 

・別荘

 

赤のアウディで別荘に訪れる。

絵本作家「ごめんなさい、僕の荷物です」、そこから二人の手が触れる。

絵本作家さんは意識してる描写。

編集者さんは「あなた筆より重いもの持てないでしょ」なんて言っちゃって気には留めてない様子?

もしかしたらこの人は本音を隠してしまうタイプ?と思ったり。

 

寝室のシーン。

「思い切りベッドに飛び込んでもいいですか?」と絵本作家さんが動く。

これはどういう意図で別荘に誘ったのかを知りたくて?

ベッドというのはある種神聖な場所。

そこに飛び込むということは?

 

編集者さんの答えは「もちろん」。

少し間があったのは気持ちを固めるためか?

 

作家さんが飛び込んだ後編集者さんもダイブ。

これで半分ぐらいは成立してるような気もするが作家さんがもう一押し。

自分の頭を編集者さんの腕に乗せる。

 

「嫌だったら突き放して大丈夫ですので」

突き放さないからこそ言える言葉だと思う。

この人なら懐に飛び込んでも大丈夫だろうと思わないと言えない。

 

それにキスで応える編集者さん。

この人を支えたい、守りたいと思っての行動か。

 

これにて二人の関係が深くなり現在に至る。

 

 

 

 1話の晩酌シーンから考える2人の世界

 

新人の持ち込みがあったことを話す編集者。

それに対し絵本作家さんは「ふーん。担当すんの?」などと言って拗ねた態度を見せる。

それに対して編集者にヨシヨシと彼の頭を撫でる。

多分こうしたやり取りは何度もあったのだろうと考える。

 

絵本作家さんは憑依型作家と編集者が表すぐらいだ。

つまりは作品=自分。

それを初めて肯定してくれた人は何よりも大切。

というかその人が自分の全てという気持ちを持っていてもおかしくはない。

 

だから自分の世界には編集者さんしかいないと思っていたとしたら?

 

一方で編集者さんは圧倒的に光の世界にいる人。

洋館の別荘を持っていて赤のアウディを乗りこなして余裕のある雰囲気がする。

武田さんへの接し方を見ても、誰に対してもああいう感じなのは想像に難くない。

この人は間違いなくスパダリ。

 

そんな人が恋人なのだから不安になるのは当然とも言える。

だから彼に近付く人がいると自分の世界にいなくなることを危惧しヤキモチを焼いて拗ねる。

 

そんな彼を編集者さんは大きな愛で包み込む。

編集者として、一人の人間として彼をサポートしている。

デロデロに甘やかしてると思う。

だけど絵本作家としては少し分かりにくいかもしれない。

 

スパダリ彼氏とわがままな可愛い彼女、そこにある一抹の不安。

BE LOVEの世界観のような2人の世界がそこにはあった。

 

 

 

 編集者のif

 

 編集者さんはもし絵本を完成させていたらどうなっていたか。

ふとそんなことを思った。

 

編集者は絵本作家さんを突然失い、失意の日々を送っていた。

その後を追わずに現世に留まっている動機はやはり未完成の「俺たちの絵本」だろう。

 

「お前と出会って一緒にこうして過ごしてきたからこそ思いついた絵本」「作家人生をかけて描きたいと思ってる」

そんな作家の思いを知ったからこそ「絶対完成させようぜ。その俺たちの絵本」と約束した。

 

その約束を果たすために編集者は動くことになる。

そこで武田さんの手を借りてでも完成させようとしたわけだけど、もし完成させていたら?その先は?と思わずにはいられない。

 

絵本作家さんの死を引きずり続けているし、面影を見て、気配を探している。

武田さんに頼んだのも彼に似ていたから。

彼は真っ直ぐに絵本作家のことを愛していた。

 

だからもし完成されていたら……。

だから物語の結末はある意味彼の本望だったかもしれない。

少し早いお迎えだったかもしれない。

 

そんなifを想像できる余地をこの話は残していると思う。

 

 

 

 絵本作家を吸血鬼にさせたもの

 

 最終的に絵本作家は吸血鬼となってしまう。

吸血鬼になってしまう理由は諸説あるのでここでは彼の感情を追っていって何がきっかけかを探っていこう。

 

最初は「レパートリー増えてんじゃん、歌ってよ」「俺ずっと傍にいるよ」「ねえこっち見てよ、気付いてよ」「ここにいるのに」と書いてて切なくなるぐらいの想いを編集者さんに向ける。

星に願いをの「1秒よりも短くていいから その頬に触れさせてそっと」という感じだ。

 

編集者さんも独り遺されたが、絵本作家もまた一人になってしまったのだ。

ここで編集者さんが彼を見えるようになればいいが、そうではない。

自分の世界には彼しかいないのに。

 

編集者が約束のために動き出したときの作家さんの切ない表情は絶妙だ。

自分はただ見ることしかできない、その笑顔を他者に向けないで、とただただ切ない。

 

でもすぐさま怒りの感情を向けてるわけじゃない。

ただ編集者の様子を見ている。

それは絵本作家の一応の優しさだとは思う。

自分のために動いてくれてるわけだから。

愛してくれているわけだから。

 

でもやっぱりどうしても許せない一点はあった。

元々あの絵本は編集者との日々の中で思いついた絵本。

大切な人のために作家人生を懸けて描きたいと思った絵本。

彼にとって作品=自分。

あの絵本はまさに自分そのもの。

それを大切な人と作るからこそ意義がある。

 

それなのに編集者は自分に似た人にその絵本をやらせようとした。

まさに運命の「今更何言われたとしても 踏みにじられた傷は消えない」だ。

ここで憤懣やるかたない気持ちになった絵本作家。

それが彼を吸血鬼たらしめた。

 

でもそんな気持ちなんて本当は持ちたくなかったはずだ、愛してる人に対して。

噛む以外は爪を伸ばして傷つけてはいないし。

 

こんな気持ちになるぐらいだったら「最初からこうすれば良かった」。

その台詞にはこのような意味が含まれているような気がしてならない。

 

 

 

 マリーゴールド

 

物語の中でキーアイテムとなっているのがマリーゴールド

 

マリーゴールド花言葉は色々ある。

日本では「勇者」「可憐な愛情」

黄色のマリーゴールドは「健康」、オレンジのは「予言」「真心」

アフリカンマリーゴールドは「逆境を乗り越えて生きる」、フレンチマリーゴールドは「いつも側において」、レモンマリーゴールドは「愛情」

マリーゴールドには太陽神アポロンの恋愛絡みの逸話があり、「嫉妬」「絶望」「悲嘆」というのもある。

 

「あいつ、それが好きかな」と編集者が選んだのがマリーゴールド

つまりは絵本作家=マリーゴールド

だから3話でマリーゴールドが映った後作家が現れたし、4話で花瓶にマリーゴールドを挿したら編集者の前に姿を現した。

 

マリーゴールドには良い意味でも悪い意味でも花言葉がある。

絵本作家=マリーゴールドなので2話では「可憐な愛情」、3話では「いつも側において」「悲嘆」、4話だと「嫉妬」「絶望」と色合いが変わってくる。

もしそれを狙って制作側が作ったとしたのならば金一封をあげたいです。

 

また太陽神アポロンマリーゴールドにおいての逸話が大変興味深い。

https://gardenstory.jp/plants/32908を参照します。

 

①カルタという美しい少女が太陽神アポロンに恋をしていた。彼女の生きがいはアポロンの側にいて彼を見つめることだけ。しかし次第に恋の炎に焼かれるようにカルタは衰弱し魂となった。その魂は太陽に吸い込まれてその跡に1本のマリーゴールドが咲いていた。

 

②水の妖精クリスティはアポロンに恋心を抱いていた。しかしアポロンには王女レウトコエという恋人がいた。嫉妬したクリスティは王女の父の国王に告げ口。すると国王はレウトコエを生き埋めにしてしまった。クリスティはそれを後悔しアポロンを見つめ続ける。やがてクリスティは太陽に向かって咲くマリーゴールドとなった。

 

アポロンには男性にも慕われていて、美少年クレムノンもアポロンを見つめていた。アポロンもまたクレムノンを愛しく思うように。しかしそれを雲の神が嫉妬しアポロンを隠してしまう。会えなくなったクレムノンは死んでしまう。そこでアポロンはクレムノンをマリーゴールドに変身させて、その姿を愛でるようになった。

 

これを見ていると太陽神アポロンを編集者さんに見立てられて仕方がない。

そして3つの逸話が全部「見つめる」がキーワードとなっている。

2話でマリーゴールドに水やりをしている編集者を見つめる絵本作家さんのシーンがあったし、4話ではずっと編集者を見つめてる。

3つの逸話はいずれも悲恋の末にマリーゴールドになっている。

これらを知った上でのチョイスだったら本当に金一封をあげたい。

 

まあこのマリーゴールドの話はかもしれないで留めておきます。

 

 

 

 吸血鬼ユッタの冒険~運命の扉~

 

これは難産だと思う。

何せ取っ掛かりが4つのシーンしかない。

でも作家が編集者と過ごしてきたからこそ思いついた、作家人生を懸けた二人の絵本だ。

最後に編集者さんは「これって俺たちの冒険だったんだ」とモノローグしている。

つまりは吸血鬼ユッタと青年はそのまま絵本作家と編集者に置き換えることが可能だ。

 

頭に浮かんだことを何でも絵本にするのがこの作家のスタイル。

そこを紐解いていけば自ずと潜在的にでも二人が見えてくるのではないだろうか。

 

まずは①ユッタと青年の出会いのシーン。

青年が死んだ母親に会うために入ってきた森でユッタと出会う。

吸血鬼と知り怖がる青年に対し、「人間の友達が欲しかったんだ」「友達の血は吸わない」と友好を深めようとする。

 

次の絵本のシーンでは②二人は死んだ人に会える花があるという山を目指していく。

枝をクルンと回していく青年は菜箸をクルンと回した編集者さんと一緒。

ユッタは水筒から血を飲む。

そして「君の血を吸ったら君は死んで吸血鬼になる」と説明。それに対し青年は「怖くないよ、ユッタは友達だから」とすっかり親しくなっている。

 

主役の二人が最後に実演したシーンは③とある朝。

日の光りが駄目な吸血鬼、明るいうちから行動する人間の対比が描かれる。

 

あとはラストシーン。

アトリエと似た部屋で青年が血を流して倒れているという絵本の結末としては不穏な絵となっている。

 

3つのシーンと先述した事を重ねることは可能だと思う。

①は二人の馴れ初め、②はBE LOVEな二人、③は一抹の不安がある二人の世界と。

 

問題はラストシーンだ。

頭に浮かんだことを何でも絵本にしてしまうのが絵本作家さん。

恐らく一度思い浮かんだことを取り消すことはないのだろう。

どういうストーリーでそのラストに繋がるのかは残念ながら永遠の謎だ。

そしてそのラストシーンは現実と交錯してしまった。

 

もしかしたら絵本作家は知らずのうちに編集者との愛の結末を予知してしまい、自らその道へと歩き出してしまったのかもしれない。

 

 

 

 このままで僕らずっと

 

 最後にクライマックスシーンを振り返ってみよう。

編集者がラストシーンと同じようにマリーゴールドを花瓶に挿すと世界は一変し、目の前に絵本作家が現れる―――。

 

編集者さんの想いはただ一つ。

「俺たちの絵本」を絶対完成させること、絵本作家さんとの約束を果たすこと。

だから絵本作家に雰囲気が似てる、絵のタッチが似ている武田さんの手を借りた。

 

残された側のみの物語ならば、これは美談と言えるし、何なら完成させた後の編集者と武田さんとの物語だって紡ぐことは出来る。

 

しかしこのドラマは死んでしまった側の話でもある。

というよりもどっちかといえば絵本作家側の視点に重きを置いている節がある。

作家が編集者の幸せをずっと祈っているのならまだしもだが。

絵本作家の怒りは「自分と編集者」の絵本なのに、他者を介入させて描かせている、この一点のみだ。

ましてやどことなく自分に似ているなんて言われて、絵のタッチも似ているとも言われて。

そりゃ踏みにじられた思いはするだろうし、「最悪の言い訳」と切り捨てたくもなるだろう。

 

二人が想い合っているのは確かだ。

しかしすれ違う。

死別してしまった時点で交わらなくなってしまったのに。

絵本作家は「二人」で完成させることに意味があると思っていたのに対し、編集者は「俺たちの絵本」を完成させることに主眼を置いた。

傍から見たらたったそれだけかもしれない。

でもその違いはとても大きい。

そして死が二人を別ってしまったのでそのすれ違いを解消することは出来ない。

 

それを解消するために必要だったのがマリーゴールドであり、絵本のラストシーンだったのだろう。

現実と絵本の世界を交錯させることでしかもう二人を交わらせることが出来ないのだから。

 

結果、運命による導きか二人は再び交わることになる。

噛まれた後の編集者の台詞、「ごめん、俺が悪かったよ」はすれ違いの果てに絵本作家の真の想いを知り、寄り添った言葉だと思う。

 

この話のエンドをどのように捉えるかは人それぞれだろう。

私はハッピーエンドと捉えたい。

 

絵本作家が編集者を連れていく、というのは一見バッドかもしれないが、自分は相手が一番大切、相手も自分といる方が幸せなはずだという確固たる自信がないとそんなこと出来ないだろう。

実際作家は編集者には真っ直ぐで、編集者は絵本作家を大きな愛で包み込んでいる。

 

死別により崩れてしまった二人の世界。

そこには他者は一切介在しない。

また同じ世界にいくのなら連れていくしかない。

そうすれば二人はずっと一緒にいられる。

 

だからこの話はハッピーエンドなのだ。

 

 

 

 おわりに

 

さてここまで長々と書いていきました。

ここまで辿り着いた皆さんはお疲れ様です。

 

何でこんな文章を書くぐらいハマってしまったのか、よく分からないんです。

確かに入口はキスマイのその二人がBLをやるんですか?ってところなんですけど……でもかといって私はBLに抵抗はないぐらいで積極的に読み書きはしてないですし、創作で読むのも書くのも夢が多いんです。

ちなみに当方は嵐ファンですし。

 

というかドラマを見ているうちにそういった概念はなくなってました。

ただ演じているお二人が男同士なだけ。

中身はファンタジー王道ラブストーリーですよ。

だからBE LOVEはどんな話?と訊かれたらファンタジー王道ラブストーリーと答えますよ、私は。

 

楽しかったです、ドラマBE LOVE。

お二人の演技もドラマの世界観も私を大いにハマらせました。

 

ドラマ企画第2弾も楽しみにしてます。